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Anorak citylights

レコードを買ってから開けるまでのドキドキとか、自転車のペダルを加速させる歌や夏の夜中のコンビニで流れる有線など些細な日常とくっついて離れない音楽についての駄文集 twitter ID→ takucity4

新訳 銀杏BOYZとモラトリアムに関する駄文

セカンドアルバム"光のなかに立っていてね"のリリースから半年が経とうとしている。リリース直後、僕は9年前のように峯田和伸のことを考え、メールを送りつけ、銀杏BOYZと共にあった学生時代のようにはしゃいだ。なによりアルバムを聴きまくった。
前評判通りの内容に戸惑いはしたものの、次第にアルバム全体を覆っていた濃霧は晴れた。峯田和伸自身による解説(言い訳)と、何より聴き慣れてしまったこと。この"聴き慣れる"ていうことが実は結構厄介だ。
"歪"をそのまま音にしたような耳に障るハーシュノイズまみれの音像も、口から内臓を吐き出しまうほど鬼気迫る峯田の歌唱も、リスニングを重ねた今 僕は平静として聴いている事ができる。この漂白されたような時代において あまりに過剰な銀杏BOYZの音が他のポップスと並列に消費されてしまうこと。TSUTAYAのスピーカーから"金輪際"が流れ、さらにそれは有線のAKB48にかき消されてしまうということ。この異物はすっかり街に歓迎されてしまった。
9年前にアルバムがリリースされた時も同じだった。
29曲2時間半にも渡るハードコアポップス、ゲロを吐きながら最悪の精神で美しい朝焼けを見ているような気持ちで聴いていたのに、いつしか僕の体に馴染み 生活のBGMとして使われていったのである。耳を塞げば良かったものを 10代後半から20代前半における長くない時間 所謂"青春時代"の友に、僕は銀杏BOYZを選んだのだ。

青春に必要なものは 輝き のみだと思っていた。
ここでいう輝きとは、衝突を繰り返しながらもやがてお互いを認めあっていく仲間や、決して届かなくとも努力を惜しまない夢や、紆余曲折の末劇的に結ばれあう恋人のことだ。
"あの娘僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろう"と歌ったのは岡村靖幸であったが、ロングシュートを打つチャンスさえ与えられなかった者はどんな顔をすればいいのだろうか。
膨大な自意識をもて余し、音楽に自己を投影することで かろうじて自分自身を承認する事ができた。それは青春と呼ぶにはあまりに独りよがりであった。
峯田和伸はそんな無様な"青春弱者"を全肯定した。いや、して"しまった"のだ。
本来 無様で惨めな青春など、青春未満である。体験しないに越したことはない。好きな女の子の彼氏を憎むより、好きな女の子の彼氏になる方が圧倒的に正しいのである。"ボーイズオンザラン"でも正しいのは青山の方であるし、田西などただの勘違い性欲長者でしかないのだ。
しかし峯田和伸は有史以来続く前提をあっさり否定した。
あの素晴らしいメロディで青春弱者を美しく抱き寄せ、破壊的なライブパフォーマンスで失いかけた自意識を逆説的に再生させてみせた。
彼らのライブ会場には 明らかに報われない日常を送っているであろうモサい若者が押し寄せ、彼らは皆一様にイキイキとした表情を浮かべていた。日常ではそれこそ生きづらい思いをしていることだろう。無論僕もその一人であった。
"無様でイケていない青春こそ美しい、豊かな音楽体験を持たない奴はクソである" 所謂普通に青春を謳歌してるように見える者へのルサンチマンは僕の中に深く根を張り、欠落した価値観を植え付けた。
銀杏BOYZが表舞台から姿を消した後も、彼らの影響から抜けることはできず、人間関係等に軋轢を生むこともあった。僕はその責任を全て銀杏BOYZに押し付けていたのだ。自分は銀杏BOYZ 峯田和伸のせいでこんなメンタリティを持つようになってしまったのだ…と。
もはや、自分がダメだから銀杏BOYZを選んだのか、銀杏BOYZを選んだからダメになったのか 全く分からなくなってしまったのだ。

20代という時期に終わりが見えてきたのは2014年に入ってからだ。僕は29歳になった。サラリーマンになってから5年が経ち、昇進し係長になり、結婚も決まっている。来年には第一子も生まれてくる。
今では 銀杏BOYZに染まり、何者でもない自分の自意識と戦っていた頃の自分をある程度 俯瞰して見ることができる。
お酒も飲めるようになったし、嫌いな奴のいる飲み会にも笑顔で参加できるようになった。理不尽な扱いにも余裕で耐えることができる。したってくれる部下もできた。ヒップホップも大好きになったよ。
僕はあまりに重く大きいものを銀杏BOYZに背負わせてしまった気がする。ようやくそう思えている。
モラトリアムという牢獄から彼らを解放し、僕も彼らと決別がしたい。良い曲を書く、素晴らしいバンド。彼らをその地点にまで戻すのだ。
心からそう思い何度も彼らのアルバムを聴くのだが、その度に僕は体の奥から湧き出る音楽への情熱を抑えることができず、忘れかけていた"かつての自分"が僕の体を占拠し、彼らの歌を歌わせるのである。
さようなら銀杏BOYZ、そればかり考えていた半年間。銀杏BOYZと決別するということは、かつての自分とも決別するということだ。
どうか 全てのことがうまくいきますように。初詣のおみくじみたいな気持ちで 今日も僕は銀杏BOYZを聴いている。