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Anorak citylights

レコードを買ってから開けるまでのドキドキとか、自転車のペダルを加速させる歌や夏の夜中のコンビニで流れる有線など些細な日常とくっついて離れない音楽についての駄文集 twitter ID→ takucity4

ももいろクローバーZ/青春賦

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「今までホントにごめん!」

一聴するなり思わず頭を下げてしまった。

これは、ももいろクローバーZのニューシングル「青春賦」をカーステレオに差し込み、闇雲に再生した直後の私である。

と、いうのもだ。何故私が国民的アイドルグループの新曲を聴いて心から反省しなくてはならないのか。30歳間近のいい歳こいた大人が、である。

そもそも私は2010年暮れ~2013年初夏くらいまで、重度のももクロファンであった。

ライブがあれば毎回足を運び、シングルがリリースされれば複数枚購入は当たり前。彼女たちが掲載された雑誌は必ず購入し、切り抜いてスクラップを作った。私の部屋からももクロが聴こえない夜はないくらい、没入していたのだ。特に、季節毎に行われたツアーや大型ライブを欠席したことはない。2012年のももいろクリスマスは会社をズル休みして2日間参加したし(2日目は平日だったのだ)、紅白歌合戦初出場はハンカチを片手に固唾を飲んで見守った。しかしながら、2013年の後半から彼女たちの方向性に対して飽和感のようなものを感じるようになる。

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(ハマっていたころの様子)

 

 そもそも、ももクロにとって、新曲をリリースする都度の目玉として、「想像の斜め上をいくコラボレーション」があったはずだ。

『労働讃歌』ではリリックを大槻ケンジ、トラックをTHE GO!TEAMのイアンが担当。続く『猛烈宇宙交響曲第7楽章・無限の愛』ではマーティフリードマンがギターを担当。続く『Z女戦争』はやくしまるえつこによるペンだった。いずれの楽曲もアイドルソングとして(当時は)尖りまくっており、アイドルというフォーマットでポップスの定義を拡張せんとする実験を行っているような塩梅であった。『労働讃歌』はTHE GO!TEAM節炸裂の特撮歌謡ファンク(シンガロング必須のサビ搭載済)、『無限の愛』はプログレ的な展開を見せるシンフォニックメタルだ。また、それらは当時のももクロの爆発的な勢いと相成り、マーケット戦略としても功を奏していたように思える。アイドルとしてスターへの道を5段飛ばしくらいで駆け上がる彼女たちをそのまま象徴するような、挑戦的かつポップスとして段違いのクオリティを持った楽曲ばかりであった。未完成のまま全てを掴んでしまうような凄みに溢れていたのである。彼女たちを好きになっていくスピードと、加速するBPMは確かに比例していた。

しかし、である。彼女たちの本質的な素晴らしさの根源は、そこではないことは分かっていた。他ジャンルを巻き込んだコラボレーション、ましてや奇抜なコスチュームやダンスでもない。彼女たちの魅力は、各々の人間的な魅力及びキャラクターと5人5色のカラフルな歌にこそあったろう。多くのももクロファンは、話題を先行させたコラボレーションより、アイドルとして無限の輝きを放つ彼女達自身の魅力にフォーカスしていたはずだ。トリッキーな楽曲の力に頼らずとも、いや、むしろ普遍的なメロディや展開を持った楽曲たちの方が、そんな彼女たちのカラフルな魅力を伝えきることができていたはずだ。それは初期の彼女たちが取り上げていたカバー曲(今でも頻繁にライブで披露されるものばかりだ)のクオリティにも象徴されるだろう。正直凡庸といって差し支えないポップスも、あの5人が全身全霊で歌うだけで、魂が宿り、ガラクタに魔法がかかる瞬間が幾度となく存在した。

そんなももクロ観を持っていた私は、あまりに飛び道具的なコラボレーションを多用するももクロマーケティングに、いつからか飽和感を抱いてしまった。紅白歌合戦への出場を果たし、コンセプトアルバム『5th Demension』(大傑作!)をリリースした後のシングル展開は、正直首をかしげざるを得ないものばかりであった。5th Demensionの後日談的であった『GOUNN』はまだしも、miwaのペンによる『いつか君が』は世間のももクロへのイメージを表層的に抽出したような薄っぺらいポップソングであったし、怒髪天が演奏する『ももいろ太鼓どどんが節』も中途半端極まりない駄曲であった。その後のリリースにおいても、似たような感想を私は持つ。要するに、スベっているのだ。中島みゆきや、広瀬香美や、THE ALFEE高見沢や、KISS。旧時代のJ-POPスター然としたmiwaだってこの際そうだ。

「面白くないし、平成初期的なセンスが裏目に出てるよ!トリッキーなコラボ陣と勢い溢れる頃のももクロが科学反応を見せた時期もあったけど、誰もが認める国民的アイドルとして定着した彼女たちに、もうそういったコラボの類はいい加減必要ない!」マネージャーである川上さんのTwitterに送信する一歩手前で冷静さを取り戻したこともあった。とにかく、シングル展開においても、ライブ演出においても、突拍子も無い芸能人の登場なんて求めてない私はいつからか彼女達への興味まで失いかけていた。ファンクラブの更新も行う事はなかった。ライブも、国立競技場ライブ以降は足を運んでいない。

 ところが、本作はどうだろう。2015年シングル3部作の2番目として位置づけられた本作は、彼女達の主演映画『幕が上がる』のタイアップであるというトピックを差し引いても、本来の彼女たちの魅力をそのまま抽出したような煌びやかなポップソングが4曲も配されている。

何となくCMで聴いた表題曲の持つ普遍的なニュアンス(それは制服という、ある種アイドルとして普遍的な形式を伴ったアーティスト写真にも象徴される)に、忘れていた何かを一瞬で取り戻した私は、夜の11時に近所のワンダーグーに駆け込む事になる。急いで本作『青春賦』の通常盤を見つけ出し、車のステレオで鳴らしたのだ。恥ずかしながら、目頭が熱くなった。1曲目に収録された表題曲のテーマ自体は陳腐なものだ。「思い出が勇気に変わる」 AKB48が歌い出しそうなフレーズだ。卒業がモチーフになっている。でも、それでいいのだ。シンプルなテーマにシンプルなトラックを与えるだけで、彼女たちの本質的な魅力が最大限に輝くのだ。私がずっと聴きたかった、私が大好きであったももクロに再び出会えたような気がして、嬉しかった。

2曲目こそ、無印時代の代表曲『走れ!』のリアレンジであるが、続く『行く春 来る春』『Link Link』も『走れ!』に通底するムードが流れており、テクノポップ風味が効いた王道のキラキラ青春アイドルソングである。リリックも、彼女たちが感情を込めやすいであろう青春の機敏がテーマだ。素晴らしい!

完全に息を吹き返した私が、再びももクロのライブに殴り込みをかける日はそう遠くないはずだ。そうして私は彼女たちに謝ろう。

「今までホントにごめん!」