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Anorak citylights

レコードを買ってから開けるまでのドキドキとか、自転車のペダルを加速させる歌や夏の夜中のコンビニで流れる有線など些細な日常とくっついて離れない音楽についての駄文集 twitter ID→ takucity4

SEVENTEEN AGAiNと私

"僕はファシスト 君はレイシズム 君を傷つけた奴を僕は許さない"
1曲目"僕はファシスト"は安孫子真哉に捧げられた。僕は壁際の定位置から動けずに、固唾を飲んでステージを眺めていたのだ。
12/28に新代田FEVERで開催されたKiliKiliVilla主催イベント『不安と遊撃 VOLUME01』のラストを飾ったのはSEVENTEEN AGAiNだった。"僕はファシスト"から"Don't Break My Heart"の開始を告げるドラムロールが鳴らされた瞬間、フロアからは無数の拳が立ちのぼり、それは直ぐにモッシュの波に揺られ散り散りになった。僕は踊りまわる酔いどれ達を前に押し返しながら、SEVENTEEN AGAiNを観ていた自分の10年間を思っていたのだ。

SEVENTEEN AGAiNを初めて聴いたのは2005年だったと思う。
当時僕は大学2年生で、栃木の片田舎から大学進学のため上京してきたクソ大学デビュー野郎であった。唯一の取り柄というか趣味は音楽が大好きだったということ。高校1年生の時に出会ったGoing Steadyをキッカケに音楽に心惹かれ、彼らの背後に見え隠れしていた『西荻watts周辺のPUNKシーン』に没入。Stiffeen Recordsのタイトルを宇都宮の新星堂まで買いに走り、そこに無ければメールオーダーし、届いた音源の紙ジャケットを手でスリスリしながら未だ見ぬ東京の西荻wattsを思っているような高校生だったのである。
2004年の大学進学以降は下北沢まで自転車で20分あれば行けるアパートに住んでいたため、毎日のように自転車で下北沢へ行ってはdisk unionに通いつめ、安いPUNKの音源ばかりを発掘して一喜一憂していた。ライブもちょこちょこ観に行くようになり、やがて吉祥寺や池袋を中心に、僕と同世代の若者によるPUNKシーンの雛形が出来上がっていること知るようになったのだ。彼らは僕と同じように西荻wattsやGoing Steadyをルーツとしており、それは彼らの楽曲を聴けば直ぐに察しがつくものであった。そんな文脈の中で出会ったのがSEVENTEEN AGAiNだったのだ。
当時の彼らはまさしく西荻watts直系と形容する事ができた。短く汚く展開の激しい、散らかすようなポップソングを演奏しており、どこからどうみても悪ふざけにしか見えない代物であった。そんな楽曲が詰め込まれたCD-Rのデモ音源を聴き、「やりたいニュアンスは凄く分かるけど、何かしっくりこないなあ」と勝手極まりない感想を抱いていた。しかしながら、どこか彼らに引っ掛かりのようなものを感じていたのも事実だ。それは限りなく感覚的なものであったように思う。デモ音源のハンドメイド極まりない装丁だったり、レーベル名が『twenty one again』と表記されていたり、封入されていたライナーのフォントだったり、タイトルのセンスだったり、ホームページのBBSに書かれていたメンバーの好きなバンドや音源だったり、自分と同じ順路を辿ってきた人間が作ったものとしか思えなかったのだ。今思えば、"同年代の若者達が作っている"という事が自分にとって大きかった。
そんな風に彼らを気になっているうちにいつしか楽曲も好きになっていき、気付けば『youthful pop song』を口ずさむようになっていた。初めて聴いてから約半年程経った2005年の冬、僕は彼らのライブを観に行こうと決心し、高円寺の無力無善寺に繰り出した。初めて観た彼らのライブの印象を鮮明に覚えていないが、僕は一番後ろの壁際でゲラゲラ笑っていた。つまりはそんなライブだったのだろう。
それからは何かにつけ、少なくとも数ヵ月に1度は彼らのライブを観ていた。極端にシャイで一人ぼっちで人見知りだった僕はいつも一番後ろの壁際を陣取り、モッシュする酔いどれ達を前に押し返しながら観ていた。前売りを買ったことは1度しか無く、彼らだけを観て帰った事も数知れない。お客さん同士が仲良くなったり、バンドのメンバーと交流していく中、僕はひたすらバンドやお客さんと繋がる事を避けていた。訳のわからない自意識の拗らせ方をしていた事、つまらない意地のようなものを張っていた事が原因だろう。自分でも「まるで俺は幽霊みたいだ」と感じていた。ライブの転換時間が一番の敵だったよ。しかし、当時の僕の判断が間違っていたとは全く思っていない。なので、僕はメンバーのヤブさん以外の性格や人柄は今でも知る事ができていない。
さて、時が経つにつれ彼らの演奏する楽曲は徐々に変化していった。雑多な音楽要素をPUNKでアウトプットする手法こそブレないものの、従来とは大きく異なる、ストレートで直情的な新曲が披露されることが増えていった。メンバーが変わりギターの牛山さんが加入、大澤さんがベースを弾くようになり、ライブの勢いも爆発的に加速していったように思う。僕の想像し得ない幾多の経験の中で変化したのだろう、頻繁に対バンしていたFOUR TOMORROWや、ヤブさんも在籍していたA PAGE OF PUNKからの影響も顕著であったように思う。お客さんの数も少しずつ増えていった。NO PEOPLEとのスプリット盤や単独カセットテープは直ぐに物販から姿を消した。
2009年、僕は地元の銀行に就職するため栃木に帰らなくてはならなくなり、彼らのライブを観る機会は減っていった。それでも半年に1度は池袋や下北沢までライブを観に行っていたのだ。同年の夏にリリースされたファーストアルバム『NEVER WANNA BE SEVENTEEN AGAiN』はフラゲ日に購入し、噛み締めた。過去のあらゆるレコードをなぞりながら全く新しいPUNKが鳴っているのに、どこか懐かしくなるような音が詰まっていたのだ。僕は歌詞カードをバッグに忍ばせ会社に向かった。同時期、ヤブさんがファーストのアナログを作るため中古レコードを1枚10円で買い取っていた事が何だか印象深い。
幽霊のまま定期的にライブに通った。1年半が経った2011年の3月に震災が起きた。あまりにたくさんの問題が表面化したあの出来事以降、SEVENTEEN AGAiNのライブは殺気立つようになった。ただでさえストレートな楽曲は何かを吐き散らかすように暴力的に加速し、ヤブさんは隠すことなく怒りや迷いを観客に向けて叫んだ。坑がえない大きな何かの存在と存在への反発が彼らをそうさせたのだろうか、生活者としてとにかく怒って悩んで苦しんでいたように感じた。正直、僕はこの時期の彼らを観る事が怖かった。フロアではあんなにシャイで物静かな印象を与えるヤブさんが、顔を真っ赤にしながら混乱を伝えている。デモでの体験を伝えている。僕は重たい気持ちでライブハウスを後にしたのだ。
やがて、"シュプレヒコール"という曲ができた。僕はとても驚いた。日本語だ。レベルソングだ。それは僕のような無力かつPUNKに何かを求めている者にとって、一抹の光のように感じたのだ。下北沢の地下で、爆発的に大きな音で鳴らされたシュプレヒコールを僕は心から歓迎した。震災以降、ヤブさんの生活の道標となった言葉や体験が 誰にも分かる詞で歌われている。「何だよ、青春パンクじゃん」誰かの声が聞こえた。関係ない、引っ込んでろ。"シュプレヒコール"から狭い部屋のドアを開ける音が確かに聴こえたのだ。
それからの彼らは海外の現行インディーに大きく影響を受け 音楽性が拡張していく事と比例するように、新曲は日本語で作られていった。やがて生まれたセカンドアルバム『FUCK FOREVER』は生活者として 等身大のSEVENTEEN AGAiNがパッケージされた傑作だった。あそこまで過剰で、エゴイスティックで、激怒していて、愛に溢れたアルバムを聴いた事がない。つまるところ、「強い気持ち 強い愛」ってやつだ。
2013年以降も彼らは日本各地でライブを続け、ドラムのゴローさんが脱退。止まりたくないバンドは新メンバーにカズさんを迎えた。同年には、彼らからの影響を公言する若いバンドが現れ始めた。京都のTHE FULL TEENZや、北海道のTHE SLEEPING AIDES AND RAZORBLADESやNOT WONKもそうだろう。彼らに影響を受けた若者が各地で面白い動きを始めている。何かが変わる前触れ、胎動のようなものを確かに感じたのだ。
2014年6月、SEVENTEEN AGAiNはカセットテープ『恋人はアナキスト』をリリースした。僕は本作のリリースに際し、意を決してヤブさんにインタビューを申し込んだ。話したい事がたくさんあったのだ。ヤブさんはすぐに快諾をしてくださり、インタビューは始まった。この10年間のなかで、初めてSEVENTEEN AGAiNとコミュニケーションをとった瞬間だった。そりゃそうだ、彼らはいつだってこちらの事を知ろうとしてくれたのに、僕は固くドアを閉めていたのだから。初めてお話するヤブさんは僕のひとつ歳上とは思えない落ち着きぶりで、まるで10年分の時が一気に動き出したように思えた。それからは、ヤブさんとKiliKiliVilla安孫子さんの関係に着目し、インタビューを組ませていただいたのはご存知の通りだ。

2014年12月28日。つい先日の話だ。新代田FEVERで観たSEVENTEEN AGAiNはとにかく幸せな空気に溢れていた。僕はあんなに幸せそうに噛み締めながら演奏する彼らを初めて観たのだ。いつもどこか不満げで飽きたらない彼らが、初めて何かを成し遂げたような 達成感を滲ませている。10年前のライブハウスで彼らを観た時と全く同じように、壁際でモッシュする酔いどれ達を前に押し返しながら、この10年間の事を考えた。彼らに影響を受けたバンドマン達が重なりながらダイブし、安孫子さんもダイブし、僕も一瞬ダイブするか迷ったけどすぐ壁際に戻り、涙を抑えながらライブを観た。とても幸せな空間だったよ。2015年はSEVENTEEN AGAiNの逆襲が加速するに違いない。バンドの結成から10年以上を迎えて、彼らはますます求心力と音楽的語彙を高めている。自らの位置に甘んじることなく、どんどん先に進もうとしている。さすがはPUNKバンドだ、SEVENTEEN AGAiNと安孫子真哉が出会った瞬間から、PUNKの逆襲は始まっていたのだ。

僕が観ていたSEVENTEEN AGAiNは彼らのほんの一部に過ぎず、表層を薄くなぞった程度だろう。なので、これからも彼らを追い続ける。彼らが諦めて立ち尽くし辞めてしまうまで。多分その日は来ないので、僕はジジイになって歩けなくなるまでSEVENTEEN AGAiNを見届けてやるぞ!と、思うのだ。
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